高山寺の観光情報

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嵯峨野のさらに奥、清滝川沿いの山「高雄(たかお)、槇尾(まきのお)、栂尾(とがのお)」は、「三尾(さんび)」と呼ばれ、それぞれに寺院が建立されています。もみじの名所として知られ、多くの人が訪れるんですよ。

三尾の一番北、栂尾にあるのが高山寺(こうざんじ)です。

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フリーアナウンサー・稲野一美(@inacchi0309)が紹介します!
フリーアナウンサー・稲野一美
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高山寺の沿革

 

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高山寺は、清滝川沿いの栂尾の山中にある寺院です。ウサギやカエルが相撲をとる姿がユニークな「鳥獣人物戯画」を所蔵することで有名で、史跡・世界遺産に指定されています。

寺の名前は鎌倉時代からのものですが、前身となった寺院の歴史は奈良時代にさかのぼるといわれています。

三尾のうち、高雄の神護寺は和気氏の氏寺として建立され、延暦二十一(802)年には最澄が招かれたり、空海が唐からの帰国後に入寺したりしていました(ちなみに、空海は神護寺は「不便」だと乙訓寺に移っていきました)。

また、隣の槇尾にある西明寺は天長年間(824~834)に空海の弟子が開いたといわれています。

高山寺のある栂尾には、貞観十八(876)年、後に天台座主となる尊意が「度賀尾寺」に入り、幼少の3年間を過ごしたという記録があります。

三尾の山中は、古くからの信仰の場だったのですね。

しかし、三尾の寺院は、平安時代末期には「入るものは月と日の光だけだ」と言われるほどに荒廃してしまいます。

仁安三(1168)年、文覚が高雄の神護寺を再興し、栂尾を別所(十無尽院)としましたが、正治元(1199)年に文覚が佐渡に流された後は再び荒廃します。

そこで登場するのが明恵上人です。
フリーアナウンサー・稲野一美
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明恵上人は承安三(1173)年、紀伊国の有田郡に武士の子として生まれました。8歳で父母を失い、9歳で母方のおじ(上覚)の元で出家します。神護寺の文覚の弟子となり、後に奈良の東大寺で華厳を学びました。

華厳とは奈良時代に栄えた南都六宗のひとつで、今の感覚で言うと宗派というよりは学派に近いものです。東大寺では、平安時代には八宗兼学といい、南都六宗に天台宗と真言宗を加えた八つの教学を全て学ぶことができました。中でも華厳経は、仏の悟りそのものを説く、特に難解な経典です。

しかしこの時期、東大寺は平家の焼打ちにあい、大仏殿などが焼失、再建に向けて動き出すなど波乱続きでした。

明恵は、元久元(1204)年に槇尾に移住、建永元(1206)年に後鳥羽上皇から栂尾山を賜り、華厳宗興隆の道場として再興します。

高潔な人柄で、高山寺でも厳しい修行を続けました。当時、法然によって都に流行していた専修念仏を批判し、華厳と真言密教の融合した「厳密(ごんみつ)」とよばれる明恵独自の宗教観を打ち立てていきました。

「高山寺」という寺の名前は、華厳経の中にある比喩「日出先照高山之寺(日出でてまず照らす高山の寺)」に由来し、後鳥羽上皇から贈られたものです。石水院の南面欄間には、後鳥羽上皇の勅額が飾られています。

応仁の乱で境内が焼失、また戦国時代にも焼失し荒廃しましたが、豊臣秀吉により朱印地が与えられて再興しました。昭和四十一(1966)年までは真言宗御室派の別格本山でしたが、現在は単立寺院です。

高山寺のおすすめポイント

 

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高山寺のおすすめポイントを紹介します!
フリーアナウンサー・稲野一美
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おすすめは、石水院から見るもみじです!

高山寺の伽藍は戦国時代にほとんど焼失していますが、当時をしのべる建物もあります。

貞応三(1224)年に、後鳥羽上皇の賀茂別院を移築した石水院です。鎌倉初期の寝殿造り風の建物で、国宝に指定されています。

当初は経蔵として使われ、のちに経蔵、兼、高山寺に勧請された春日や住吉の神の拝殿ともなっていました。明治二十二(1889)年に住宅風に改築、現在地に移されています。

経蔵と言うと蔵のような建物を想像されると思いますが、実際はさすが上皇の別荘と言う感じの、明るく開放的で、優美な雰囲気を持つ建物です。

ぜひご覧いただきたいのが西正面にある「廂(ひさし)の間」です。

建物の中は暗いのに、深い廂の先の蔀戸(しとみど)が吊り上げられると一気に開放的になります。横手からは菱格子を通して光が差し込みます。床は板敷で、初夏には青もみじの新緑が、秋には赤く色づいたもみじが映り込み、明と暗、光と影、黒と色彩とが織りなすつややかな美しさが堪能できますよ。

廂の間の中央にいらっしゃる仏像は、華厳経に登場し、明恵上人が敬愛したという善財童子です。ぽつんと、ただ自然に溶け込むようなたたずまいが印象的です。また、欄間の「石水院」という額は、江戸~大正の文人画家・富岡鉄斎の筆です(富岡鉄斎は表参道の石碑にも揮毫しています)。

また、南縁(なんえん)から清滝川の方を望めば、山の景色が額縁で切り取られたようにも見えるんですよ。

高山寺に残る「明恵上人樹上坐禅像」(国宝)には、上人が木の股の上で坐禅をしている姿が描かれています。

明恵上人は、弟子があまりにおいしい雑炊を作ったので、わざとホコリを入れて食べにくくし、食に対する煩悩を払ったというエピソードが残るほどストイックな方です。夢日記を残したりもしています。本当に木の上で坐禅をしたのかな…など、想像しながら景色を眺めるのも楽しいですね。

妄想してください!
フリーアナウンサー・稲野一美
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ちなみに、高山寺は石水院以外は入山無料です。

国道から一歩入れば、山内はとても静かです。開山堂を始め、鎌倉時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)や如法経塔(にょほうきょうとう)(ともに重要文化財)などもあります。

表参道ではかつて大門があったところに立つ重厚な石灯篭や、正方形の石敷きが連なり奥にいざなわれるさま、裏参道では、高浜虚子が「塀低くもみじ遅しや高山寺」と詠んだ、白い塀ともみじのコントラストも魅力です。

文人達も訪れた境内を、しっとりと散策してみてください。

高山寺の観光情報

高山寺の観光情報です!
フリーアナウンサー・稲野一美
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所在地 京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
交通アクセス JRバス「栂ノ尾」バス停すぐ

市バス「高雄」バス停より徒歩15分

拝観時間 8時30分~17時
料金 石水院のみ800円(紅葉の時期は入山料500円)
備考 駐車場有。11月以外は無料。

高山寺はこんな人におすすめ

お茶のルーツに触れたい方におすすめです!
フリーアナウンサー・稲野一美
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高山寺には日本最古と言われている茶園があります。栄西より贈られた茶種を植えたと伝わっています。栄西は中国から茶を持ち帰り、喫茶の風習を広めた人物です。

中世では茶は高級品で、薬としても、修行の眠気覚ましとしても使われていました。

また、茶を味わって茶葉の産地を当てる「闘茶」というセレブな(?)遊びで、栂尾・高山寺産の茶葉は「本茶」、それ以外の産地は「非茶」といわれるほど重宝されたお茶でした。

この「闘茶」が後に茶の湯に、茶道にとつながっていくのです。

最近は「高山寺が最古」ではないのでは、という説もありますが、歴史的経緯を見れば、高山寺はまさに日本のお茶のルーツと言えるでしょう。

高山寺では、毎年11月8日に、明恵上人に新茶を献上する「献茶式」という法会が営まれます。

日本でいち早くお茶を飲んだであろう明恵上人の坐像を拝める機会でもあります。

お茶のルーツに触れたいという方は、ぜひ茶園にも足をお運びくださいね。

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