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嵐山の近くにある大覚寺は、貴族の別荘地だった嵯峨野の風情をたっぷりと味わえる雅やかなお寺です。嵯峨天皇の離宮に始まり、代々皇族が入寺、中世の激動の舞台ともなりました。まばゆい障壁画、大沢の池にうつる桜と紅葉など、優美な雰囲気をご堪能ください!
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大覚寺の沿革
大覚寺は真言宗大覚寺派の本山で、正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺といいます。本尊は五大明王です。
お寺の前身は弘仁五年(814年)頃造営の、平安京を開いた桓武天皇の息子・嵯峨天皇の離宮(嵯峨院)です。
東側の池(大沢の池)は、洞庭湖を模して造られた中国風の庭園の遺構で、国の名勝に指定され、藤原公任(きんとう)が和歌に詠んだ「名古曾(なこそ)の滝」の跡も残っています。
貞観十八年(876年)に寺となり、多くの天皇や皇族が入寺する門跡(もんぜき)寺院となりました。特に鎌倉時代後期に入った後宇多上皇は、政局から引退した後、真言密教の研究に励み、伽藍を整備しました。
『弘法大師伝』や、上皇の手形が押された文書・御手印遺告(ごていんゆいごう)(ともに国宝)を残すなど、中興の祖となっています。
何度もの火災や応仁の乱で衰退しましたが徐々に復興、徳川家康からも朱印地が与えられ、江戸初期には皇室ゆかりの建物が移築されました。
天皇直筆の文書・宸翰(しんかん)が多く残る、優美な雰囲気を持つお寺です。また、嵯峨天皇が菊を生けられたことに由来する、いけばな「嵯峨御流(さがごりゅう)」の総司所(家元)でもあります。
大覚寺とその周辺は国の史跡にもなっていて、時代劇のロケにも多く使われています。バスがとまっていたら、ちょんまげ姿の俳優さんたちが乗っているかもしれませんよ。
大覚寺のおすすめポイント
おすすめポイントは歴史です!注目は創建当初と鎌倉時代です。まずは創建当初です。嵯峨天皇は空海を信任し、空海に東寺を下賜した人物です。譲位後に住んでいた嵯峨院でも厚く仏教を信奉していました。
貞観十八年(876年)、嵯峨天皇の弟・淳和天皇の皇后であった正子(嵯峨天皇の娘)が寺にし、息子の恒貞(つねさだ)親王(恒寂(ごうじゃく)法親王)が開創となりました。
桓武天皇の死後はまだ政局が不安定で、孫の代では氏族同士の対立や覇権争いなどでさまざまな政変が起きていました。恒貞親王は淳和天皇の息子で、仁明天皇の皇太子でしたが、17歳の時、承和の変により廃され、後に出家した人物です。
ちなみに、恒貞親王の師で、空海の十大弟子のひとりであった平城天皇の子・真如法親王も、嵯峨天皇の皇太子だったのを薬子の変で廃されていました。藤原氏が台頭していく中で、皇太子といえども安泰ではない世の中だったのです。
恒貞親王は文学や音楽などに秀でた人物だったそうです。大覚寺に入ったのは51歳、8年後に皇位継承を打診されますが断っています。祖父であり叔父でもある嵯峨天皇をしのびながら、大覚寺で仏道に励んでいたのでしょう。
以来、大覚寺は皇室ゆかりの真言宗の寺として今日に至ります。また、第三世の門主が興福寺一乗院を開いたことから、大覚寺は一乗院主を兼ねることとなりました。
一方、鎌倉時代のキーパーソンは後嵯峨上皇です。後嵯峨上皇は鎌倉幕府の後押しによって即位し、在位中も院政中も幕府と協調姿勢を取ってきた人物で、文永五年(1268年)に入寺しました。
後嵯峨上皇の次の皇位は、息子の後深草天皇と、その弟・亀山天皇へと継がれていました。しかし、院政を行っていた後嵯峨上皇は後継者となる治天の君(実権を持つ皇室の長)を決めなかったので、幕府が介入し、後の結果として、皇統が後深草天皇系(北朝)と亀山天皇系(南朝)に分かれてしまったのです。室町時代に起きた南北朝の戦いのきっかけは、鎌倉時代にあったのですね。
大覚寺には息子の亀山上皇が出家して正応二年(1289年)に、さらに孫の後宇多法皇が徳治三年(1308年)に入寺したので、南朝を大覚寺統と呼ぶようになりました。
皇統の分裂は半世紀に及びましたが、争いの決着もまた、大覚寺でつきました。元中九年/明徳三年(1392年)、南北朝の講和がなされたのが大覚寺正寝殿(しょうしんでん)だったといわれています。
余談ですが、嵐山に桜を植えたのは後嵯峨天皇なんです。わざわざ吉野から取り寄せたそうですよ。御嵯峨天皇がいなければ、桜の名所・嵐山はなかったかもしれませんね。
大覚寺の観光情報
所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4 |
交通アクセス | JR嵯峨嵐山駅より徒歩約20分
阪急電車嵐山駅より徒歩約35分 京福電車嵐電嵯峨駅から徒歩で約25分 市バス・京都バス 大覚寺 バス停すぐ |
拝観時間 | 午前9時〜午後5時(受付は午後4時30分まで) |
料金 | 大人500円
小中高生300円 大沢池200円 |
備考 | 真言宗十八本山5番
近畿三十六不動尊13番 神仏霊場巡拝の道 第89番 有料駐車場有 自家用車2時間500円 |
雅やかな気分にひたりたい方におすすめです!
フリーアナウンサー・稲野一美大覚寺はこんな人におすすめ
雅やかな気分にひたりたい方におすすめです!大覚寺は、門跡寺院の中でもひときわ明るく雅やかな雰囲気をもっています。
大沢の池をはじめとした嵯峨の風景と、天皇家ゆかりの建築物が醸し出す典雅な空気をぜひ感じてみてください。おすすめをご紹介しましょう。
重要文化財の宸殿は江戸時代の初めに後水尾(ごみずのお)上皇が寄進したものです。中宮の東福門院(徳川秀忠の娘)の旧殿を移築したものといわれています。
平安時代を思わせる寝殿造りで、広縁はうぐいす張りになっています。襖絵の狩野山楽筆、金地著色牡丹図・紅梅図(複製)はすばらしく豪華です。
前庭には御所風に右近の橘・左近の梅が植えられています。あれ?左近は桜じゃないの?と思った方、そうなんです。今は左近は桜なのですが、嵯峨天皇のころは左近は梅でした。桜になったのは平安時代中頃と言われているんですよ。
同じく重要文化財の正寝殿(客殿)は書院造です。中心の「御冠の間」は八畳の部屋ですが、後ろの四畳を上段の間にして玉座があります。まばゆいばかりの金色の障壁画にもご注目ください!
大覚寺には他にも、大正天皇の即位式の饗応殿を移築した心経前殿や、池に臨んだ本堂の五大堂、勅使門など、雅やかな雰囲気の建物が多くあります。
大沢の池の景色は素晴らしく、特に桜の時期と紅葉の時期は最高にフォトジェニックです。9月には、船を浮かべて仲秋の名月を愛でる観月の夕べが行われ、11月には紅葉ライトアップもあります。息をのむほどの美しさです。限定のご朱印が出ることもありますので、ぜひ訪ねてみてくださいね!
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20年以上のキャリアを持つフリーアナウンサー稲野一美です。全日本カート選手権や86/BRZRaceなど、レース実況をしているほか、テレビ・ラジオ、式典司会も行っている、元 京都きものの女王です。
また、歴史に詳しいことから、京都歴史ツアーガイドでリピート率80%以上を誇る人気ガイドとして多くの常連さんから支持を集めています。
趣味は、寺社仏閣、史跡巡り、ドライブやゴルフ、俳句、囲碁、ボランティアなど幅広く、日々多くの情報と触れ合っています。
【公式サイト】Free Announcer 稲野一美