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世界遺産・上賀茂神社は、朱塗りの社殿と、広々とした境内の緑がたいへん美しい神社です。京都三大祭のひとつ「葵祭」をはじめ、平安時代さながらの優美な行事や祭礼がたくさんあるんですよ。山城国一宮でもある「平安京を護る神社」をご紹介しましょう。
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上賀茂神社の沿革
上賀茂神社は正式名称を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といいます。歴史は古く、もとは天から日向の曾の峰に降った祖先神が、大和の葛城山、山城の岡田(現在の京都府木津川市加茂町)を経て、鴨川沿いに北上して現在地におさまったといわれています。
また、6世紀の欽明天皇(聖徳太子の祖父)の時代に、賀茂の神の祟りを鎮めるため「馬に鈴をかけ、人に猪頭をかぶらせて駆けさせる祭儀を行った」と記されています(『釈日本紀・風土記山城国逸文可茂社条』より)。
社伝によると、初めて社殿が造営されたのは天武天皇六年(677年)のことでした。
平安時代には、遷都の際の桓武天皇行幸をきっかけに、平安京を護る神社として神威は高まり、山城国一宮として伊勢神宮に次ぐ待遇を受けました。
『源氏物語』『今昔物語』などにも登場する賀茂祭(葵祭)はあまりにも有名です。葵を家紋とする徳川家康もあつく信仰していたそうです。
葵祭のほかにも、2キロ北の神山で行われる御阿礼(みあれ)神事や、賀茂競馬、烏相撲など、一年中多くの祭りが行われるんですよ。
本殿と権殿は文久三年(1963年)造替、国宝で、三間社流造の代表的な建築です。扉には獅子・狛犬の絵が描かれています。他にも、重要文化財の建造物が30以上あります。
祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)です。ちなみに、下流にある下鴨神社には祭神の母と祖父(祖先神)が祀られていますが、上社と下社は奈良時代中期に分かれたと推定されています。
上賀茂神社のおすすめポイント
上賀茂神社のおすすめポイントは「神話」と「烏の神事」です。
上賀茂神社の神話のへー!なポイント
上賀茂神社の神話には、日本古来の「へー!」と驚く考え方が現れています。
上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神(かもわけいかずちおおかみ)の神話
ある日のこと、賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が、川の上流から流れてきた丹塗りの矢を拾って帰りました。するとほどなく妊娠し、子が生まれましたが、玉依姫命には心当たりがありません。
そこで、玉依姫命の父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が、子が成長した時の儀式の場に男性をずらっと並ばせ「お前の父親に盃を渡せ」と言うと「私の父は天の神です」といって、天に登って行ったというのです。
「へー!」なポイントその1
・神様(丹塗りの矢・男根の象徴です)は川上から流れてきた
→川の源流は山ですね。山から流れてきた矢は神様の象徴だった、つまり、山の上や山の向こうに神様の世界があると考えられてきた、ということを表しています。
ほかにも、川上からものが流れてくる有名なお話がありますね。そう、桃太郎です。
神話が成立した時代には、中国の影響を受けて「桃」がパワーのある果物とされていました。さらに川上からきているので神様のチカラも絶大です。だからこそ、鬼を退治できる子が生まれた、というわけです。
柿太郎や梅太郎ではだめなんですね(もっとも、元のお話は桃から生まれたのではなくて、桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんが…略…で生まれたのですが)。
川上から流れてくるものは、神様や人智を超えた力につながるものとされていたのです。
ちなみに、上賀茂神社の上流には貴船神社がありますが、貴船神社は上賀茂神社の摂社であった時代があり、今も上賀茂神社の境内に「新宮神社(貴布禰神社)」が祀られているんですよ。
「へー!」なポイントその2
・子どもに「お前の父に盃を渡せ」と言った
→昔は父がわからない子がいた場合は、儀式の際、子に指名させていた、ということが伺えます。
意外にも、日本は古来より父親が誰かについては寛大です。古代のイベントである歌垣では人妻にも求愛できましたし、本当の父は母親しかわからないので、母親の指名によって父となる男性が決まることもあったようです。
この場合は子どもに指名させています。玉依姫命は矢を拾って帰っただけで身に覚えがないのですから、父が誰かなんてわからないですものね。
江戸時代でも、伊勢神宮参拝の折りにできた子は(その時同行していなくても)女性の夫が父となったり、江戸の長屋の女性にできた子はその長屋の住人が共同で父として育てる、という慣例があったといいます。
地方でも、夜這いの文化があるところは、拒否権も父(夫となる人)の指名権も女性にあったとかで、今とはずいぶん感覚が違うのですね。
どうして烏の神事があるの?
9月9日の重陽神事(ちょうようしんじ)の後には「烏相撲(からすずもう)」が行われます。子どもたちが烏の鳴きまねをしながら相撲を取るという、珍しい相撲です。
なぜ「カラス」なのかというと、ここにも神話が登場します。何と、賀茂神社をまつる一族である山城鴨氏(やましろのかもうじ)・鴨県主(かもあがたぬし)の祖は、八咫烏(やたがらす)だったとされているからなのです。
八咫烏といえば、初代天皇となる神武天皇が熊野で遭難した際に、道案内をして救ったという特別な烏です。動物が一族の祖先ってなに?と思われるかもしれませんが、神話の世界ではよくあるお話です。
古代において、氏の出自を表す神話は重要な意味を持ちます。神話において天皇に近ければ近いほど、氏そのものが重要な、由緒ある血筋であることを示し、朝廷での職掌にもつながっていくのです。神話では神武天皇を救ったのですから、功績は大きいですよね。
もちろん、神話が描かれた古事記も日本書紀も完成したのは奈良時代です。神話や氏族伝承が成立するまでには、中国文化の影響を受けたり、紆余曲折あったことが伺えるのですが、結果として鴨氏は、朝廷において主殿寮(とのもりょう)という役所に仕える氏族となりました。
日常業務のほかに、天皇の代替わりに行われる大嘗祭(だいじょうさい)にも奉仕しています。天皇行幸の際にお供をしたというのも、道案内の神話を思わせる仕事ですね。
烏と言うと不吉なイメージがあるかもしれませんが、神話では太陽神の使いであり、上賀茂神社とは深いつながりがあるのです。境内では、あなたを導いてくれる烏に出会えるかもしれませんよ。
上賀茂神社の観光情報
所在地 | 京都府京都市北区上賀茂本山339 |
交通アクセス | 市バス 上賀茂神社バス停すぐ
上賀茂御園橋バス停より徒歩3分 京都バス 御園口町バス停より徒歩1分 |
拝観時間 | 5時30分~17時 |
料金 | 無料 |
備考 | 駐車場有 有料30分100円(季節による) |
上賀茂神社はこんな人におすすめ
平安絵巻・平安ムードを味わいたい方におすすめです!上賀茂神社は平安時代以来、文学にもよく登場します。
例えば、百人一首にある藤原家隆の歌、「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは 禊(みそぎ)ぞ夏のしるしなりける」です。
ざっと訳すと、「楢の木とならの小川に風がそよいでいる(涼しい秋のような)夕暮れですが、 禊の祭事が行われていることが、今が夏という証ですね」ということなんですが、この「ならの小川」は上賀茂神社を流れている川で、上賀茂神社と、夏の祓の行事、現在の夏越大祓式(なごしおおはらえしき)が舞台になっている歌なんですよ。
暑い夏でも、境内のならの小川の木立の下を歩いていると、すっと風が吹き抜けて、この歌の世界を感じることができます。
また「ならの小川」の横にある橋殿では、
・1月には篝火の中での舞楽の奉納
・5月の葵祭の際には斎王代(さいおうだい)の禊の儀式
・4月には川が引き込まれている庭園「渉渓園(しょうけいえん)」での「賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)」
賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)とは
※平安装束に身を包んだ歌人が小川沿いに座り、目の前に杯が流れてくるまでにお題にあった歌を詠むという典雅な宴
など、行事の時の境内は平安ムード満点です。
もちろん、源氏物語にも登場する「葵祭」の行列は最高に華やかですし、装束を着た乗り手が境内を駆け抜ける「賀茂競馬(かもくらべうま)」も、装束が新緑に映えてとてもあざやかです。
境内の「片山御子神社」には、ハート形に十二単の女人が描かれている縁結びの絵馬もあるんですよ。平安時代をイメージしながら、優美な世界に浸ってくださいね!
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20年以上のキャリアを持つフリーアナウンサー稲野一美です。全日本カート選手権や86/BRZRaceなど、レース実況をしているほか、テレビ・ラジオ、式典司会も行っている、元 京都きものの女王です。
また、歴史に詳しいことから、京都歴史ツアーガイドでリピート率80%以上を誇る人気ガイドとして多くの常連さんから支持を集めています。
趣味は、寺社仏閣、史跡巡り、ドライブやゴルフ、俳句、囲碁、ボランティアなど幅広く、日々多くの情報と触れ合っています。
【公式サイト】Free Announcer 稲野一美